●電動カートを乗り始めて

母は、大正末期の生まれで現在は80歳を超えている。
まあ、年齢なりの衰えはあるし、それなりの疾病もある。
しかし介護が必要になったのは別の疾病でのことで、
両ひざの関節が擦り切れて一部の骨が尖りだしてきたために、
歩くたびにひざが痛くなってきたからで、
平成4年4月4日
(なんと覚えやすいというか、縁起が・・・)
特に痛みのひどい右ひざ関節をチタン合金の関節に取り替える手術をした。
リハビリにはおよそ半年をかけて
杖をついて自力で歩けるようになった。
しかし長い距離を歩くことはできなかったので
移動手段として電動カートを買った。
いつも良くしてもらっているスズキオートの店長さんに
スズキの三輪電動カートを取り寄せてもらったのだが
「福祉用具は値引きしないようにと官庁から言われている」と
申し分けなさそうに言っていて、
代わりに別のものをいっぱい付けてくれた。
本当にこの店長さんは気持ちの良い人で
いつも親身になって車のことを世話してくれていて、
以前乗っていた三菱の車もこのスズキの店で買った。
そんな人を困らせるような通達を官庁は出している。
”福祉用具は内容の割りに高すぎる”
そんな実態を知るようになったのはこの頃からであった。
さて、その電動カートであるが、
いきさつはともかく、母の足代わりとして、すばらしい働きを見せてくれるのであった。
我が家からその病院までは、電車で4駅だが
家から最寄の駅までは歩いても15分くらいかかる(私の足で)。
しかも当時まだ電動カートが珍しかった時代
電動カートで電車に乗る人などほとんど皆無で(乗っても良いのだが)
ショッピングセンターでも、電動カーに乗っていると、
あからさまに嫌な顔をする人もいて、
母は電動カートで電車に乗ることを嫌がった。
我が家から病院までは道路の距離で約10kmである。
最高速度が時速6kmの電動カートでは、
片道で2時間かかることになる。
しかし母は、これを往復していたのであった。
ただし天候が悪いときや真夏や冬は無理で
バッテリーが少し古くなってきたときも、
途中で止まる恐れがあったので、
そのときは私が車で送迎していた。
当時は父がパーキンソン病で入院していたりで
遠くの堺市の病院(皮膚病関連で)に入院して、
母が泉佐野市の病院に入院していたときは、
病院巡りだけで丸一日を要していたものだ。
このときにすでに私の介護人生が始まっていた!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
それからおよそ10年間、この電動カートは、
母の貴重な足となり活躍し、
懸念されていたもう片方のひざ関節の悪化も軽減され
現在もまだ手術しない状態を保っている。
しかいこの電動カートが充電系の疲労によって
走行距離が急激に低下してきて
長時間の走行が不可能になってきたとき
母の体力も長時間の外出が困難になってきていた。
往復20kmの遠征ももう実現することは無い。
今ではせいぜい往復5kmくらいが限界だろう。
さてそろそろ寿命が来た電動カートをどうしようかと思っていたときに
介護保険制度が始まり
母は、「要介護1」と認定され、
電動カートのレンタルができると分かり、
早速申し込んだ。
今までは自費で買った電動カートで、バッテリーももちろん自費で買わなくてはならないのだが、
ひとつ2万数千円し、それが2台必要で、しかもほとんど一年しか持たない。
今回のレンタルカートでは、
諸費用込みで年間3万円程度で、
今までのバッテリー代よりも安くなったのだ。
これは大いに助かった。
買い換えて維持費を負担してとなると
これが結構大きな負担と成ると思っていたからで、
介護保険制度の良い面が出たと思っている。
ただし電動ベッド(父の場合だったが)は以前は無償だったのに
この時からは費用がかかることになっていた。
しかしこれで母の外出の足が確保でき安心していた。
この時は・・・・・

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