不服申立ては通らなかった

結果を書けば、ただ通らなかった・・・だけである。
もっともおよそそうなるであろうことはシステムからも分かっていたことである。

文章による申し立てに対して、大阪府介護保険審査会は
私に直接話を聞く機会さえ持たなかったからである。

市役所が実体など関係なく、
教科書的な文章(あらかじめレクチャーでも受けているのであろう)を作って
形式どおりに送れば、
それで形式的には成立するのである。

つまり市役所は規定どおりにやっている、
だからその結果がどうであれ、市役所に訂正すべき過ちは無い。

だから大阪府介護保険審査会も
審査のやり直しを命令することは出来ない。

それでおしまいである。
不服は不服、制度は制度。
市役所側がつまらないミスをしていない限り、
是正はされないことになる。

そして重要なのは、このような訴えを起こす介護者側には、
市役所にも、大阪府介護保険審査会にも
時間をかけて証拠を集め、戦う余裕など無いから
結局かろうじてこの不服申立てを行うだけで
消耗してしまっているのである。

私もこれ以上のステップに行く気力は無い。
泣き寝入りをすることにする。

■阪南市から弁明書が来た!

2007年5月24日
大阪府介護保険審査会から、阪南市が府に提出した弁明書が送られてきた。
内容詳細については、まだ申請途中であるため、公開しないほうが良いのだろう。
しかし、その弁明書の内容には失望した。
市職員がサービス担当者会議で言ったことなどは
介護者の個人的な見解で片付けられていて、
介護者や本人の不安は個人的な意見と言うことで無視されてしまっていた。
それも根拠のない個人的な意見としてである。
ではサービス担当者会議を行う意義はどこにあるのか?
我が家に大勢の介護関係者が集まって
実態についていろいろな意見を言って
電動カートの使用もその時に認可されて、
でもその場の発言や意見は根拠のないものとされている。
これって矛盾してませんか!
会議なら議事録や報告書があるはずですから
もし再度市役所側が根拠ないことと弁明するのなら
その情報を公開するよう申請してみよう。
そして、被介護者や介護家族の不安であるが、
以前からメディアで取り上げられている
自殺などの介護事件はこの不安が主要因であることは明白で
個人個人の不安を軽減することも重要な介護である。
精神的な負担を軽くすることの重要さを分かっていないから
このような弁明書を送りつけてくるのである。
母の転倒に対する不安は血管の脆弱性からいって
常人の比ではないし、
過去の入院暦からもその不安は非常に大きい。
しかし市職員は過去何度も
その状況を無視するような発言を行ってきていて
窓口で人の命を軽んじる態度に怒り心頭することも数度あった。
阪南市は、これらの私の主張を
理由のない意見として認否しないと言う態度をとっている。
理由を耳をふさいで聞こうとせずに
「理由のない」を根拠に弁明していることの不自然さと冷たい態度には
市の役割って何なのだろうか?
市職員はどこを見ているのだろうか?
***もうすぐ、次の介護認定の結果が通達されてくる。
           さて、どうしたものか!!!!

■7月更新の介護認定調査が来た

先月中旬、7月に介護認定の更新に伴う認定調査が行われた。
方法や内容は前回と同じである。
当然と言えば当然なのだが、
その調査票から審査会でどのように判断されるのかを知らなかった前回とは違い、
その全貌をわずかでも知っている今回の場合とでは受け止め方が違っていた。
一つ一つの質問にも、
こんな項目を調べてどうするのか?
すでに認知症の段階でランクは決まっているではないか!
こんな項目を詳しく書いてもコンピュータの判定の資料にはなっても
それ以上の意味がないのに、時間の無駄だ!
特記事項にこんなことを書いても意味ないのに!
などとついつい悲観的なことばかりを思い描いてしまうのである。
コンピュータ判断用の資料作成とは別に
実際に家族がどのような介護をしているのかと言う実態調査をすべきではないのか。
同じように見える状態像の被介護者でも
介護者の手間は大きく違ってくるのが実態で、
しかも介護保険法は介護家族のことにも言及していたはずだ。
家族が同居していても
時間的、経済的に余裕のある無しや
介護者自身が障害を持っていたり老人であったり、持病を持っていたり、
あるいは私のように車に車椅子を積んですぐに移動できる家族もいれば
介護タクシーを呼ぶしか移動手段のない家族もいるのだから、
その介護周辺の事情を調査しなくて何の介護制度かと思う。
それができるのは市だけである。
だからこそ市にはもっと真剣に介護に取り組んでもらいたいのである。
国のように机上で物事を決めないで、市職員の目でしっかりと見てもらいたいのである。

■2007年4月5日 大阪府へ不服申立て請求をする

期限ぎりぎりになってしまったが、
大阪府へ介護認定決定通知の取り下げ請求を行った。
通称「不服申立て 」である。
この不服申立てには
料金などの支払いなども含まれるため
私の場合は、「要介護認定・要支援認定却下通知書の却下処分」の取り下げとして
不服を申し立てた形になっている。
内容については
現在、進行中につき
WEBでの公開は適切ではないと考える(たぶん)ため
結果が出てから公開するかもしれないとしておく。
内容の概略は、
母の介護度は高く、介護予防の要支援ではないと言うことと、
別刷りで、阪南市の対応が極めて問題があると言う苦情を貼付しておいた。
経過は
大阪府から阪南市へ資料の請求が行われ
阪南市が議事録を含めた資料を弁明書?として提出。
大阪府が私に資料を提示(阪南市はこう言っているよという内容)し。
私が大阪府に反論書(なにいうてんねん)を出し、
大阪府が裁定し、
私の請求が認められれば阪南市に認定却下通知書の取り下げを指示する。
(大阪府が介護認定するわけではなく、審査のやり直しを阪南市に指示するだけ)
阪南市が認定審査をやり直す。
たぶんこの最後の段階までいくのが
来年になるだろうとの事。
その間に少なくとも一度の認定の更新があることになる。
この不服申立て制度を介護者があまり利用したがらないのは
この期間の長い対応のせいでもある。
被介護者・介護家族にとって
審査会の妖しげな決定に対する抵抗は
あらゆる方向からも道を閉ざされていることを問題視しなければならない。

★認定審査のガイドライン

市の介護認定審査会の審査には
多くの人たちが関わり、いくつかのチームがある。
審査が審査員(審査チーム)によって偏った結果が出ないように
何らかのコントロールがなされているのは当然である。
まず審査基準であり、
要支援度、要介護度の判定基準である。
それもコンピュータ診断による第1次審査の判定基準と
審査会での2次判定基準とがある。
コンピュータによる基準は
色々と問題点が指摘はされているが、
おおよそ内容は公開されていて、
市販ソフトの試用版を個人でもPCでダウンロードできる。
CARECARE
(有償ですが、2週間は無料で試用できます。)
試してみてください、面白いですよ。
状態を悪くさせて再入力させても
介護度が下がることもあるんです!
そして2次審査であるが
問題点は「要介護1相当」と言う妖しげな名称で
これをどういう基準で「要介護1」と「要支援2」に分けているのかである。
私はその基準を教えてほしいと
何度も市の介護認定相談窓口で問うたが、
以前に書いたように
その場限りの返答に惑わされ続けていた。
審査員の経歴や資格、性格などはたぶんかなり多様であろう。
審査チームごとの判断が著しく違うことがないように
何らかのコントロールがなされているはずである。
ただのガイドラインだけではないはずである。
Cさんは「審査判断の順番を無視した場合などには、事務局員が指摘する」と言う。
つまり、例えば、「認知症あり」なのに、他の項目でもって要支援にした場合など
見落としなどががあったときには指摘しているという。
これは実際の具体例として言ってくれていた。
審査員の中には、この程度の人物もいる!と言うことの証でもある。
「見落とし」⇒言い換えれば「面倒くさい」からとも・・・・・・
この程度だと思うほうが現実なのかもしれない。
事務局員は技術的サポートをするだけとしているが
それは当然、そう言わなければならないものだが、
もし、もしもであるが、
市職員が介護予算の削減を重視したサポートを強いられていたなら
あるいは、介護予算の削減が自分の実績に有利に働くなら、
それがもし私が担当なら・・・・・
誰でも良い、審査会現場を想像をしてみてくれ、
コントロールは簡単である。
そして議事録には載る筈がない会話が
どれだけあるのか!
審査会がブラックボックスゆえに知ることができない闇の領域である。
今、このガイドライン(表向きの部分であろうが)を教えてほしいと
Cさんにお願いしているところであるが、
2市1町による合同運営ゆえに、
阪南市だけの判断で教えることができないので、
少し待ってほしいと言われている。
私は待つ。

★認定審査会はブラックボックスだった

阪南市における介護認定審査会は
阪南市・泉南市・岬町の2市1町の合同で運営されている。
構成メンバーは法の定めるところなのだが
ではそのメンバーの選定方法は?
審査委員を選ぶ審査は無いと言うことを言われた。
ようするに、市側が先生方にお願いして
審査委員になってもらっていると言うのだ(医師の場合)。
数十チームあるらしい審査会の一つひとつに
一回当たり約35件の審査が任されているという。
実質の時間(噂だが)から察すると、
一件あたりの審査時間はとても少ないことになる。
そのことを尋ねたら、
10日前に各審査員に書類を渡して
事前に目を通してもらっていて、
不明な点や分からない点があれば事務局(市職員)を通して
医師や調査員に確認を取るようにしている、とは言っているが、
その確認はできているのかを尋ねたら、
「読んでもらっていると言うことを前提にしている」
「不明な点は再確認してもらっていることを前提としている」
それで当日の審査会では短時間でもきちんと審査をしてもらっていると言う。
以前にも書いたが、
母の主治医は悪筆である。
市職員にも意見書を見てもらったが、
読めない個所が何ヶ所もあった。
しかし、阪南市の事務局から確認の連絡をもらったと言う話は聞いていない。
そして審査会の決定には
市は口を挟むことができないことになっている。
さらに、審査結果は被介護者や介護家族には等級しか知らされず
その理由については一切知らされることはなく、
その審査内容も、事務局(市職員)が議事録に書いているだけで、
その議事録も介護者は見ることも要約を知ることもできない。
つまり
審査会の委員たちは皆さん善良で仕事熱心で、
難解な文字も読めて、
公正に審査が行われている、
と言うことを前提に市は
その審査に一切の疑問を持たずに
被介護者に審査結果を通知し、
審査結果に不服があるなら大阪府に陳情すればいい。
と言う姿勢をとっている。
被介護者の側から見ると、
調査票なんかほとんど読みもしないで
短絡的に事務処理されているのではないか?
と言う疑問を持っても
それを市に聞いても
何も答えてもらえないし、
調べてももらえないと言うことなのだ。
そして審査員に渡される書類を見せてもらったが(未記入のもの)
最初の方に
【認知症なし】 【認知症あり】 の項目が
でーんと構えているではないか!
あーこれなんだ!
関係者の間でよく言われている、
「認知症がなければ、もう要支援としか見てもらえないよ」
そうか、ここですでに仕分けされているのか!
母の調査票と医師の意見書には
かなりの文字数の意見や状態が書かれていて、
内容を知っている私ですら、
読むのは一苦労するくらいである。
それが短時間で処理できるものかどうか?
私は市職員に何回か、
「この量の書き込みを本当に読んでくれているんですか?」
「読んでいると言うことを前提にしています」
Cさんだが、正直に答えてくれている。
そういうことを前提にしなければ仕事が進まないのが現実なんだろう。
その不備な点を承知しながらもそうしか答えることができないと言うことだ。
まさに「認定審査会はブラックボックス」なのだ!
介護者にとって
認定審査会は闇の組織なのだ!
闇から光の射すところへと引っ張り出さなければならない。
そして実際に
どのような基準で
どのような方法で
どの程度の確からしさで
審査が行われているのかを
白日の下に晒して
不備を正さなければ
介護をするものにとって、
泣き寝入りは止むことがないだろう。

★地域包括支援センターが市の直営であることの是非

前に、母のケアマネを
市の地域包括支援センターの市職員から
民間の方に代えてもらったことを書いたが、
地域包括支援センターが少人数で忙しいのは分かるが
それで母のケアプランがおろそかになることは容認できないからで、

特に今お世話になっているショートステイの事業所は人気が高く
申し込みを速やかに行わないと
予約が取れない状態であるのに
地域包括支援センターではまともに対応してもらえていないからだ。

先月の予約も、以前の民間のケアマネさんが
無償で好意で働きかけてくれていて
それで確保できたしだいで、
これでは母はかわいそうである。

阪南市は地域包括支援センターの仕事を
民間に委託せずに市で直営するとしているが
仕事ができないならできないと、
素直に認めるべきである。

介護される者や介護家族にとって
ケアマネージャはあらゆる行政との接点であり窓口であり
日常に接することで
様々な生きた情報を知ってもらえる存在である。
これは市の予算の削減から来た処置なのだろうか?
また介護保険法改正の条文にある
様々なケアプランなど無いに等しい。
実際に
「では、私の母に、どのようなケアプランを立てて、
母が介護にならないように予防してくれるのか」
と問うて見ると、
返ってくるのは「・・・」無言であった。
何を支援してくれるのか?
何もできませんと言う答えが返ってくるだけであった。
デイサービスとショートステイと電動カートのレンタル。
それでは要介護1と同じケアプランではないか。
利用回数が減るだけではないか、
なのに「要支援」と「要介護」
この言葉の大きな差は何なのですか?
「要支援2」の持つ意味、
「地域包括支援センター」の存在意義
それらが明確になる(本性を現す)のは、
半年後?来年?3年後?

▲2007年3月29日 不服申立て前の最終確認

その前に・・・・
2月の末に
母のケアマネージャを
今の地域包括支援センターの市職員から
民間の以前からお世話になっている方に変えてもらった。
そのことは別に書くとして、
そのときに、地域包括支援センターのBさんに
質問を2点していた。
まずひとつは、
認定審査会が母の審査をして要支援2とした理由は
市にどのように報告されているのかを尋ねた。
母の元には「要支援2」としか書かれていない通知書が届いただけで
なんら理由も記載されていなかった。
そして私が何度市役所に赴き理由を尋ねても
具体的な回答を知らせてはもらえていなかったことで、
本当に報告書があるのか疑問に思えてきたからであり、
認定担当窓口のAさんは
一度もそれらしい書類を用意せずに
私に一般的な説明しかしなかったからである。
もうひとつは、
審査会で審査を行うには
何らかの審査基準のガイドラインが必要である。
そのガイドラインはどこが作成して、
どのような内容になっているのか?
その有無と、その情報公開の方法とを尋ねた。
最初の質問には、
Bさんは、報告書があるのかどうかまったく知らないと言った。
いくら認定担当とは違うとはいえ
重要なことである。
知らないと言うのは本当なのか?
本当であっても問題であるし、
うそであればもっと問題である。
次の質問も同じであった。
知らないと言うものをそれ以上聞くわけにもいかず、
連絡待ちと言うことになった。
そして・・・忘れられてしまっていた。
催促をしてやっと最初の質問の回答を得た。
報告書はなく、
審査に立ち会った市職員の議事録があるだけとの事、
これを知るまでに要した日数は
約4週間
大阪府への不服申立ての期限まで
後10日くらいしかないため
その上司のCさんに面会を求めて
3月29日に会うことができた。
年度末の忙しい時期だが、
ここまで放って置かれたんだから
これは市の方が悪い。
この面談で、審査会の大きな問題点が浮き彫りになったため、
このことから、
新たなテーマ「市役所(行政)の問題点」を立ち上げ
詳細はそこで書くことにした。
この日、
大阪府へ不服申立てを行う旨宣言し
3時間にわたる面談を終了した

★地域包括支援センターが市の直営であることの是非

前に、母のケアマネを
市の地域包括支援センターの市職員から
民間の方に代えてもらったことを書いたが、
地域包括支援センターが少人数で忙しいのは分かるが
それで母のケアプランがおろそかになることは容認できないからで、

特に今お世話になっているショートステイの事業所は人気が高く
申し込みを速やかに行わないと
予約が取れない状態であるのに
地域包括支援センターではまともに対応してもらえていないからだ。

先月の予約も、以前の民間のケアマネさんが
無償で好意で働きかけてくれていて
それで確保できたしだいで、
これでは母はかわいそうである。

阪南市は地域包括支援センターの仕事を
民間に委託せずに市で直営するとしているが
仕事ができないならできないと、
素直に認めるべきである。

介護される者や介護家族にとって
ケアマネージャはあらゆる行政との接点であり窓口であり
日常に接することで
様々な生きた情報を知ってもらえる存在である。
これは市の予算の削減から来た処置なのだろうか?
また介護保険法改正の条文にある
様々なケアプランなど無いに等しい。
実際に
「では、私の母に、どのようなケアプランを立てて、
母が介護にならないように予防してくれるのか」
と問うて見ると、
返ってくるのは「・・・」無言であった。
何を支援してくれるのか?
何もできませんと言う答えが返ってくるだけであった。
デイサービスとショートステイと電動カートのレンタル。
それでは要介護1と同じケアプランではないか。
利用回数が減るだけではないか、
なのに「要支援」と「要介護」
この言葉の大きな差は何なのですか?
「要支援2」の持つ意味、
「地域包括支援センター」の存在意義
それらが明確になる(本性を現す)のは、
半年後?来年?3年後?

▲2007年3月29日 不服申立て前の最終確認

その前に・・・・
2月の末に
母のケアマネージャを
今の地域包括支援センターの市職員から
民間の以前からお世話になっている方に変えてもらった。
そのことは別に書くとして、
そのときに、地域包括支援センターのBさんに
質問を2点していた。
まずひとつは、
認定審査会が母の審査をして要支援2とした理由は
市にどのように報告されているのかを尋ねた。
母の元には「要支援2」としか書かれていない通知書が届いただけで
なんら理由も記載されていなかった。
そして私が何度市役所に赴き理由を尋ねても
具体的な回答を知らせてはもらえていなかったことで、
本当に報告書があるのか疑問に思えてきたからであり、
認定担当窓口のAさんは
一度もそれらしい書類を用意せずに
私に一般的な説明しかしなかったからである。
もうひとつは、
審査会で審査を行うには
何らかの審査基準のガイドラインが必要である。
そのガイドラインはどこが作成して、
どのような内容になっているのか?
その有無と、その情報公開の方法とを尋ねた。
最初の質問には、
Bさんは、報告書があるのかどうかまったく知らないと言った。
いくら認定担当とは違うとはいえ
重要なことである。
知らないと言うのは本当なのか?
本当であっても問題であるし、
うそであればもっと問題である。
次の質問も同じであった。
知らないと言うものをそれ以上聞くわけにもいかず、
連絡待ちと言うことになった。
そして・・・忘れられてしまっていた。
催促をしてやっと最初の質問の回答を得た。
報告書はなく、
審査に立ち会った市職員の議事録があるだけとの事、
これを知るまでに要した日数は
約4週間
大阪府への不服申立ての期限まで
後10日くらいしかないため
その上司のCさんに面会を求めて
3月29日に会うことができた。
年度末の忙しい時期だが、
ここまで放って置かれたんだから
これは市の方が悪い。
この面談で、審査会の大きな問題点が浮き彫りになったため、
このことから、
新たなテーマ「市役所(行政)の問題点」を立ち上げ
詳細はそこで書くことにした。
この日、
大阪府へ不服申立てを行う旨宣言し
3時間にわたる面談を終了した。

▲2007年3月5日 地域包括支援センターからとんでもない電話が来た


外出していたら携帯に地域包括支援センターのBさんから電話が入った。
内容はこうである。
私が大阪府の介護審査会に不服申立てを行えば、
その裁定によって、要支援2の認定が覆されるかもしれない。
そうすれば介護サービスの利用金額の計算方法が変わるので
今までの分も含めて、
大阪府の裁定が下るまで計算ができなくなるので、
介護事業者(ケアマネージャ)からの保険請求(阪南市から国保)ができなくなる。
つまり裁定が下るまで
介護事業者は母が利用した分の代金を保険からも母からも、もらえなくなる。
請求してはならないと言うのである。
ちょっと待った!
不服申立てを行っても
裁定が下るのは6ヶ月以上も先になると言ったのは
阪南市の職員のほうである。
だとすれば4月に申請しても
裁定が下るのは10月以降、
いやもっと先になる。
しかも大阪府は阪南市に認定の差し戻しを指示するだけで
そこから阪南市の認定審査会が再認定を決めるのはまだ先の話になると言う。
2008年になるのと違う?
その間、ほぼ一年くらい
母は、利用した施設やレンタルしている電動カートの代金を払えずにいることになる。
後払いにせよ、
その間はお金を払わずに利用しなければならなくなる。
そんなことになれば
昔人間の母は、気まずい思いをしてデイサービスもショートステイも
電動カートも精神的に利用できなくなるではないか!
これは無言の圧力ではないか!
私は、「そんな事をすれば人権侵害になる」
「そんなことをどこが決めているのか?」
Bさんは「そういう事務の取り決めになっているから仕方がないんです」と言うだけだ。
私は、それじゃ明日、大阪府へ電話して聞いてみると言ってその場の電話を切った。
翌日、保険の請求先である
国民健康保険連合会に電話して事情を説明したが、
連合会では、そんなことは健保からは一切指示していないし、
そんな話は聞いたこともないという。
それから大阪府の
大阪府健康福祉部高齢介護室 介護支援課内
大阪府介護保険審査会に電話した。
大阪府でもそのような指示はしていない。
たぶん阪南市が事務処理上のことで独自にそういう処理をしているのでしょう。
その後で、この職員さんは重要なことを言った。
「福祉に関わる職員が、
住民に不安を与えるようなことをするのは間違っている」
「不安を取り除くようにするのが仕事なのに
反対の絶対にしてはならないことをしている」
と、言い切った。
そしてこの問題は、
残念ながら、大阪府のこの部署でも
国保のところでも、扱えない部類の内容なので、
直接阪南市(市独自の行為なので)の中で苦情を言い立てるしかありません。
と言うことも言われた。
翌日、地域包括支援センターのBさんに電話した。
「大阪府でも国保でも、そのようなことは一切知らないと言われた」
「阪南市が独自でやっていることだからとも言われた」
「このような圧力は介護者いじめで、
不服申し立ての権利を奪うものだ」
「人権侵害に当たるため、市長に提訴する!」
するとBさんは
「元通りにします、今までどおりの請求にします」とその場で言った。
Bさんは、自分で決定した(ここも大事なところなんです⇒後でまた出てきます)
実はこの日は大変だったんです。
朝から、ケーブル回線電話(J-COM)が故障で
相手の声は聞こえるけれど
こちらからの声が相手に聞こえない状態が頻繁に起きていた。
J-COMが来て調べたり、
もうひとつの回線(NTT)の電話機と取り替えてみたり、
大阪府との電話のやり取りも
J-COMを使ったり、NTTを使ったりで
大阪府だけでも10回くらい電話した。
一日中電話と格闘していたんですよ。
結局回線の故障は3日間続いたんです。
さて後日、介護施設のケアマネさんと話をしたとき
地域包括支援センターのBさんは
「今までどおり請求できるようになりました」と言ってきたらしい。
それっておかしいよね。
「できるようになりました」って言うのは
上司か誰かが決めたことを伝えているだけですよ!って事ですよね。
どちらが本当なのですか?
あなたが決めたことなら、
ケアマネさんには、他人事のように話をしていることになりますね。
上司が決めたことならば、
私に電話で言ったときは
あなたの独断で言ったことになりますね。
それって、その場限りの口上?うそ?
その場を収めるために、とりあえず言ってみた!んでしょうか?
市職員にとって他人事でも
私はその一言に振り回されていたんですよ。
もうひとつ疑問が。
阪南市ではすでに不服申立てをしている人が何人かいるようなのです。
その人たちの利用料金の請求はどうなっているんでしょうか。
もし通常の請求が行われていたとしたら、
これは私個人への圧力になる。
事実なら大問題です!

▲2007年2月19日 個人情報の提供を求める

この日は、Aさんではなく
その上司のCさんがいた。

個人情報の外部提供として、

1.認定調査票
2.主治医意見書
3.一次判定結果

の3点を請求し受領した。

認定調査票を見たが
実に細かく隙間もないほどにぎっしりと書かれてあった。

私が読むのも面倒なくらい書かれていた。

調査員は真剣に書いてくれていたのだろうが・・・・
果たして審査員はこれを読むのだろうか?
その疑問は後日さらに確実なものになった。

主治医の意見書は要点をきっちり書いていてくれていたが
実に悪筆であった。
読みづらいだけではなく読めない文字もあり
このことについて
後日重要な話をCさんから得ることになった。
悪筆ゆえの発見かも!

Aさんの上司であるCさんに
もう私の対応にAさんを出さないでもらいたいと伝えた。
このままでは、市職員の言うことが信用できなくなるだけなので、
Aさんを拒絶する理由も言っておいた。

さらに地域包括支援センターのBさんについても

人手不足で忙しいのは分かるが
それで私の母のショートステイの予約や連絡事とが
忘れられたりミスされたりしているので困っていると告げ、
ケアマネージャを民間の方に委託してほしいと言っておいた。

所詮、わずかの人数で、要支援者全員を見ると言うのが無茶な話なんです。

これでは、地域包括支援センターは介護切捨て姥捨て山ではないか!

▲2007年2月7日 新規申請却下

地域包括支援センターのケアマネージャから
先日出していた「介護認定新規審査請求?」だったかな?
が却下されたとの電話をもらい
後日その通知書を受け取った。

【理由】

要介護認定の必要性が認められないため

なんじゃこりゃ!

たったこれだけ???

14日のバレンタインデー?だったか?
市役所に赴き、内容の説明を求めた。

窓口の現れたのは、
いつものAさんである。

説明を求めるが
どうも要領を得ないのである。

その会話の中で、こんなやり取りがあった。

私「介護が認められないのは、医師の診断書?調査票の内容?」

A「医師の診断書に介護が必要とも書いていませんしね」

・・・・・それから約5分後・・・・・

私「医師が診断書に介護が必要なんて指示は書けませんしね」

A「ええ医師が介護度を指示することはできませんよ」

・・・・・・私「えっ!、あなたさっき”診断書に介護が必要だと書いていませんしね”と、言ったばかりじゃないですか?

私「医師は意見として介護度の指示はしてはいけない、、と言っているのに、どうしてさっきは、それを理由にしたんですか?」

A「ああ、ごめんなさい、言い間違えました」

私「あなたねえ、言葉の間違いじゃないんですよ、それを理由にしたんですよ。」
 「それを理由のひとつにして、介護は必要なしと判断されたと言ったんですよ」

私「口からでまかせを言うんじゃない!」
  「なんで、そんないい加減な対応をするのか」

窓口で適当にあしらって
追い返してしまおうと言う態度が見え見えであった。

文字ではどう表現してよいのか・・・
この日の彼女は、
私に対して実に慇懃無礼な態度をとり続けていたのである。

もう対話も何も最初から成立していなかったようだ。

限界だ。


その日は、調査票と診断書のコピーをもらうと思っていたが
印鑑を持っていっていなかったので
後日改めて取りに行くことにして

この窓口での相談はあきらめることにした。

★要支援2って、今だけのランク?

私がどうしてこれほども要支援と要介護の差にこだわるかと言うと、

元来、要介護1と要支援(現在の要支援1)の間には、
利用できる点数に大きな隔たりがあり、

要介護1の者をいきなり要支援(1)にすると
利用できるサービスが極端に減り
(母の場合は、電動カートをレンタルすればデイサービスを一切利用できなくなる)
クレームの嵐が来るに決まっているから

臨時の緩衝ランクとして「要支援2」を作ったのではないか?
と言う疑念があるからで、

もともと存在しないランクが
いつまで存続できるのか?

少しでも保険の利用を減らしたい行政は
必ずこの付け足しのランクを無くし、
要支援は従来の形に一本化されるという懸念を持っている。
そうすれば
母がデイサービスに行けるのは、週に1回。
ショートステイは3日程度
そして電動カートはレンタルできない!
訪問介護も利用できず
大好きなお風呂は
もう週に1回しか入れない。
自分で外出もできなくなる母が
引きこもり、寝たきりになるのも時間の問題。
寝たきりになっても、上半身がまだ動けるなら、
介護にはならない!
これを健康で文化的な生活が出来る生存権を定めた
重大な憲法違反ではないのか。

▲2007年1月10日 サービス担当者会議?

2007年1月10
この日は介護認定の再申請(新規申請と言うらしい)
のための調査員が午前中にやってきた。
前回11月のときは
歩行についてあまり重要視されていなかったようなので
この点を特に注意して書いてもらうようにした。
調査員は丁寧に多くのことを調査票に書き込んでくれたが
このことが後日、私にある疑念を抱かせることになった。
さて午後からは
地域包括支援 サービス担当者会議を我が家で行った。
最初は何の意味かさっぱり分からなかったが
後日、この会議と言うのは非定期に場所を特定せずに
必要に応じて随時開催されるものだと言われた。
要するに、問題が起きたら、その家に担当者が集まって話し合う その集まりを会議と言っているんだそうな。
「お役所的発想!の命名」ですな。
この日集まったのは
1.地域包括支援センター 主任ケアマネージャ (市職員のBさん)
2.デイサービスで利用しているT事業所の担当者
3.ショートステイで利用しているN事業所(病院)の担当者
4.電動カートをレンタルしているレンタル事業者の担当者
5.要介護1の時に担当していたケアマネージャ(T事業所)
そして、母と私であった。
議題は
1.デイサービスの利用日(いうなれば制限)の決定。
   利用日は毎週、月・火・木・月2回の土曜から
             月・木に、後で月2回の土曜日が増えた。
2.同じくショートステイの利用日(削減)の決定
     毎月7日間利用していたが(点数はまだ余裕があったが)
      今回はぎりぎり6日間利用できた。
3.電動カートの保険適用が妥当かどうか。
  (すでにそのままレンタルし続けているけど)
  これは妥当との意見が圧倒し(当然だが)許可された。
* 要支援ならば当然地域包括支援センターが
母の症状がこれ以上悪化しないように
何らかのサービス活動を提言するのだが
・・・・・何も無い!・・・・・
要するに何も支援できない要支援2なのだ。
要介護1と要支援2の違いは
保険の利用を減らすだけの目的なのだ。
非介護者の社会生活を制限し
介護家族の負担を増やす!
これが支援の実態なのだ。
支援を減らすことが支援の実態である。

▲2006年12月末 要支援2の通知

年末のあわただしい時期
12月25日にそれはやってきた。
介護認定の通知である。
母はこの制度始まって以来、ずっと要介護1であった。
しかし今回は「要支援2」と判定された。
最初に判定されたときより
さらに身体の状態は悪化しているにも関わらずである。
しかもこの適用は来年の1月からになる。
官庁の休みがあるから・・・あと、2~3日しかない!
これはすぐに市役所へ行かねば!
翌26日、朝から市役所へ出かけた。
介護保険課の介護認定の相談窓口へである。
前に書いたAさんがやってきた。
一抹の不安を覚えながらも、
とにかく来庁の主旨を伝えた。
「母の場合、具体的に、どういう項目が介護が必要なしとなったのか教えてください」
私は具体的な回答を求めて、そのように言った。
しかしAさんは、一般的なパンフレットを見せて
介護保険システムの説明から始めようとしていたので、
「そのような説明は結構ですから、具体的に母の場合について聞きに来たのです」
それでもパンフレットで説明を続けようとするので、
「母の資料を持ってもこないで、どうして説明できるのですか!」
と言うと、Aさんはあわてて母の書類を探しに席を立った。
あっちの机こっちの棚と、さらに何人かに尋ねながら
5,6分もしたでしょうか、
やっと母の書類を見つけて(はぁ~)お話が始まりました。
まず、一次審査のコンピュータ診断では「要介護1相当」であった。
とすれば、医師の診断書なり認定調査員の調査票で
母が介護1には当たらないと判断されているわけだから
どういう項目で介護ではないと判断されたのかを聞くことにした。
要領の得ない説明を繰り返される中、
しつこく具体的な説明を求める私にAさんは逆切れしたのか
「認知症以外は介護にはなりません!」と言い放ち、
「では、認知症以外ではどんな状態でも介護にならないのか?」と詰め寄ると、
「余命半年とか宣告されている人だったら介護になります」と言い切った。
余命半年???それってホスピスのことで医療と違うの????
介護って医療とは違うでしょ????
後に彼女の上司から、
それはその方が、以後回復する兆しが無く悪化する状態のことで、
当然機能障害があることが前提です。
と説明を受け、納得したものであった。
しかしここでAさんの言った
「認知症以外では介護になりません」と言うのは
実はかなり真相に近かったのではないかと今では思っている。
この後、もっと話を進めたかったのだが、
このまま話がもつれ込んでしまえば、
間近に迫る要支援2での対応では
母は電動車いす(電動カート)のレンタルが打ち切られてしまうため、
その方向に話を切り替えていった。
もちろん要支援2でも電動カートが保険の対象として利用できることを知っているからである。
調査票でも特に強く主張していた
「歩行の危険性と、外出が不可能なこと」を再度述べ
なぜ電動カートの使用が認められないのかと聞いたところ、
Aさんから次のような質問が帰ってきた。
A「家の中で過ごしている時間と外で過ごしている時間とではどちらが多いですか?」
私「外では歩けませんから、当然家の中です」
A「家の中では車椅子ですか?」
私「家の中は車椅子で移動できるほど広くは無いですから、当然伝え歩きか杖です」
 「デイサービスやショートステイの施設では車椅子ですが」
A「この場合、家の中か外かで多くの時間を過ごしている方で、車椅子を使われていないんでしたら、日常の生活で車椅子は必要ないと判断されます」
私「えっ!・・・・それって、外では歩けなくてもですか?」
A「日常生活で車椅子が無くても歩けると言うことです」
私「外では歩けないから、家にいるほうが多いんですよ」
私「・・・・足が悪い老人で一日の多くを外で過ごしている人っています?」
A「・・・・無言・・・・」
私「家の中で車椅子で移動されている方ってどれくらいいます?使えるなら母も使っていますよ!」
  「家の中でも転倒することが多くて危険なんですが、車椅子は使えないんです」
  「ほんのわずか、伝え歩きができるって言うだけで、外を自由に歩きまわれるって、どうひねくれた考え方をすればそのようなことが言えるんです!」
それから、母が転倒することで内出血を起こし、それが大変危険であることを再度述べ、
電動カートを取り上げられてしまえば
精神的にも引き篭もり状態になってしまう、
引き篭もり状態なってしまえば
もう家でもほとんどベッド上での生活が続くため
さらに歩けなくなってしまい、
いままで努力して足の筋力の衰えを防いできたことも
一瞬にして水の泡と化してしまう。
それでもAさんは、かたくなに「そういうシステムになっているから」と言い切っていた。
そのころには、地域包括支援センターの男性職員(Bさん)、
それから後に、彼らの上司の女性職員(Cさん)も同席し始め
(これは私がAさんの態度に怒り、声が大きくなっていたためだろう)
再度事情を説明し直すことになってしまっていたのだが、
私もこの時点では
あまりにもAさんの言う内容が相手が人間であると言うことを考えていないような言い方で
杓子定規な変な理屈で実情では考えられないような条件を提示して
それに合わないからだめだとか
そういう態度に怒りが高ぶってしまっていた。
このときに私は重要な点を相手に指摘していた。
「あなた(Aさん)は、どちらの側に立って話をしているのですか?」
「あなたは、まるで国の役人の立場になってわたしを説き伏せようとしていますね」
「私のような市民は、いきなり国を相手に話をする手段を持ちませんし、しても意味が無いでしょう」
「介護のことで直接話をする、相談するのは市役所のこの課がまず最初です」
「だから市役所も相談窓口をここに置いているんでしょ」
「市の職員が介護者や非介護者の言葉を聴かずに、クレーマーのような扱いをして、追い返そうとするとは何と言う態度なんですか!」
「福祉課って何の仕事をするところか知っていますか!」
「市民の立場に立って考えればそんなことは言えないはずです」
「国の定めた制度が実情に合わないことなんてざらにあります」
「それを市民レベルの目線でも見て、その矛盾点を少しでもなくして、市民にとって少しでもより良い方向へと、動こうとするのが福祉行政ではないのですか」
「その市民の窓口であるあなたが、窓口に大きな壁を作って、市民を寄せ付けないようにすることが仕事なんですか」
「窓口へ相談に来た市民を追い返すのがあなたの役目なんですか」
「新聞TVで何度も大きく報道されてきている介護法改正で自殺や心中事件を見てあなたはなんとも思わないのですか」
「あなたは私の母に、外へ出かけたりしないで家の中で早く死ねと言っているのに等しいことをしているんですよ」
そのようなことをどのくらい言い続けたのでしょうかね、
気がついてみると私一人だけがしゃべっていて、
その課全体がシーンとしていた。
とりあえず、明日に地域包括支援センターのケアマネージャー(市職員)が家に来て
市との要支援2の契約をしに来てもらうことにして
そうしないと一切のサービスを受けられなくなってしまうからで
やむなく要支援2の決定を受けざるを得ないような仕組みになっている。
そして電動カートの使用についても再度話し合うことになった。
ついでに書いておくが、翌27日に
1月初めに、担当者会議(市ケアマネージャー(Bさん)、デイサービス事業所、ショートステイ事業所、電動カートレンタル事業者、そして以前からお世話になっている民間のケアマネージャー)を我が家で開くこととし、
そこで電動カートの利用の可否と介護申請のやり直しなどに付いて話し合うことにすると言う取り決めを行った。

▲2006年4月 初めて市役所へ行く

2006年4月、改正介護法が始まった。
TVや新聞、ネットニュースでは
新介護法での影響が次々と報じられ、
介護の切捨てが問題になってきていた。
そこで私は、4月の後半の連休に入る少し前に
市役所へ赴き現在の状況を尋ねることにした。
介護保険課の介護認定窓口である。
女性職員が応対に出てきた。
仮に「Aさん」としておこう。
まずは認定方法の変更のあらましと
実際の阪南市での対応について聞いてみた。
直接市役所に聞きに来た理由として、
阪南市のHPは2002年の時から更新されていず、
今度の介護法改正に対する情報がまったく知ることができないからと伝えた。
また市の広報にもほとんど掲載されていないためとも言った。
■阪南市での「要介護1」から「要支援2」への変更はどのくらいか尋ねたところ、
およそ9割との答えが返ってきたが、
まだ始まったばかりなので
これからはどうなるか分からないとの事であった。
9割と言う答えには驚いた!
■電動車いすの保険適用について尋ねたところ
原則、要介護1までは保険適用ができないと言われ、
改正法の条文では自治体の判断で貸し出しができるとも書いてあった。
■それで阪南市ではどう対応しているのかを聞くと、
まだ決まっていないので今はなんとも言えない。
■地域包括支援センターについて尋ねてみると
まだ活動できていないので
どのような事ができるのか、まだ分からない。
・・・・
その他にもいろいろと聞いては見たものの
とりあえずスタートはしたが
まだ市では対応しきれていなくて
これからの会議で次々と決まっていくと言うことであった。
■会議で決まったことはどうすれば市民(私)が知ることができるのか?
HPに掲載されるのか→たぶんされません。
広報に載るのか?→分かりません。
では度々この窓口にやって来なくてはならないのか?
Aさんは、この件で決まったことがありましたら連絡させていただきますと言ってくれた。
それでとりあえず話が終わったのだが、
Aさんは、そのまま席を立って行ってしまおうとしていた!
「ちょっと待ってください」
「私は、名前も住所も電話番号も、何も言ってないんですが、
どのようにして私に連絡してくれるのですか?」
Aさんは、始めから連絡する気など無かったのだ!
窓口での対応はその場限りの方便だったのだ!
そのことは後日にも同じようなことをされたため
確信を持って、そう言えるのである!
一応名刺を渡したものの
それから8ヵ月後に再会するまで
何の連絡も無かったことは
当然のことであった。
今回このブログを書こうとした発端が
この日の市職員の対応であった。

●転倒の危険性

母の介護の必要性の第一要因は
足が不自由であると言うことだ。
しかしただ足が不自由であると言うことだけではなく
母はその内臓疾患から
血管が非常に脆弱で、
転倒しかけて、ちょっと腕をつかんだだけでも
その部分が内出血することで、
本人が気づかないうちに
内出血して腕や足に黒ずんだ箇所ができていることも頻繁にあり、
ひどい場合には、病院でその部分を取り除いてもらわなければならないほどに悪化することもある。
転倒で最も怖いのは
頭部を打った場合である。
当然頭部の血管も脆くなっているために
脳内出血を引き起こしかねないことで、
むしろ
いままでそうならなかったことが奇跡みたいなものだ。
介護調査のときでも
市役所へ介護認定の結果について尋ねて行ったときでも
必ずそのことが最も懸念していることだと言ってきている。
介護認定調査員にも
体のあちこちにある黒い痣も見てもらっているし、
医師の診断書にも転倒の危険性を指摘してもらっている。
いわば爆弾を抱えているようなもので、
本人が一番気になっていることなのだが、
どうも他人(介護認定に関わる人たち)には、ピンとこないらしい。
このことで後に
市役所の介護認定の係りの職員と
ひと悶着あって
私の怒りが爆発することになった。

●狭心症と糖尿病性腎症

母には30年ほど前から狭心症があり、
救急車のお世話になることも二度や三度では収まらない。
かつて大阪市の警察病院の名医と言われている医師のところまで
(東京からも通ってくる患者がいるくらいだった)
何度も通っていたが
まだ心臓カテーテルが発達していないころで
心臓の下部1/3くらいは良く見えずに確認できなかった。
それでも何ヶ所かは血管が詰まり気味になっていると知らされた。
阪南市に引越しをしてきてから
泉佐野市の現在通院している病院では
そのころには心臓のすべてが心臓カテーテルで見えるようになっていた。
やはり狭心症には間違いなく
原因のひとつに心因性のものがあると言うことも分かった。
この心因性というのが、
これからの母の病状に
いろいろと問題を起こしてくるのであった。
さて現在はこの狭心症は既往症ではあるが
いくらかは落ち着いているのでその点は少しは安心しているが
もっと厄介な病気が悪化してきていた。
もともと母は糖尿病を患っていた。
しかしそれほど重いものではなかったし
度々の入院で食事制限をされていて
糖尿病そのものは深刻なことにはなっていなかった。
しかし糖尿病の影響は体のあちこちに影響を及ぼしていた。
ひとつは眼への影響で、
現在は白内障と緑内障を患っている。
もうひとつは糖尿性腎症に発展したことで、
一昨年、入院中に急に意識不明になり
その後すぐに意識は回復したものの
回復後一週間くらい、記憶が飛んでしまっていたのだ。
回復後、人工透析を行っていたのだが
一週間くらいして、それまでの事をまったく忘れてしまっていることに気づいた。
私や妻がそれまで母と会って話していたことも
まったく覚えていなくて
自分がなぜ透析を受けているのかも分からなかった。
それは一時的なこととして、
問題は人工透析のことであった。
母の血管は非常にもろくて
長期間の人工透析には耐えられないため、
なんとか人工透析をしなくても良いようにと
これから厳しい食事療法をすることにした。
母はいまだに糖尿病と糖尿性腎症の違いが良く分からず
自分では食事のコントロールができない。
糖尿病の時にはカロリーが制限されていたため
砂糖の代わりに人口甘味料を使い
空腹時には寒天ゼリーなどの低カロリー製品などを食べていたが、
糖尿性腎症では
インスリンを使用しているため
一定のカロリーを確保しないと
今度は低血糖症を引き起こし
生命の危険にも晒されることになる。
しかしいまだに寒天食品を買ってくるし
糖尿病用の人口甘味料を買ってくる。
そして甘いものを避けるようにしている。
長年の糖尿病生活によって
考え方の切り替えができないのであろう。
しかしそれを放って置いては、
低血糖症で倒れてしまい危険である。
母は足が不自由なため
調理などは危なくてさせられない。
しかも糖尿性腎症は
カロリー(当時は1200kcal)、タンパク制限、塩分制限、カリウム制限、ビタミンk制限に加えて
ワファリンを服用しているため、特定食品制限も必須であった。
80歳の母にはこれを計算して調理をするなど
到底無理な注文である。
そこで私がこれからずっと毎日母の食事を計算しながら作ることになった。
その結果、食事制限の枠が緩められ
いまでは割と母の好きなものも多く食べさせてあげれるようになった。
しかしそのように好転するまでは大変であった。
インスリンを打っている以上
一定のカロリーをとらないと
低血糖症を起こすので
何とか食べるように言うと
急に泣き出したり、
おいしくも無い低タンパクご飯も
何とか食べれるように工夫して
そのときには、これだったらちゃんと食べれると言っていたのが、
後日には、あんなもの見るのもぞっとすると言って
まったく受け付けなくなってしまったり、
年齢相応のことはあるとは言うものの、
食事の好き嫌いも激しく、
かといって人工透析だけは避けなければならないし、
このころの私は外出もままならず
仕事もかなり制限してきた。
食事に関する介護は
自力で食べることができない場合のみ介護扱いで、
調理は介護には当たらないとされているが(いつから?)
実際は、じゃあ誰が食事を作るの?
と言うことになる。
私の時間を返せ!って、誰に言えばいいんでしょう。
時間が介護の程度を測る単位なんじゃないですか?

●電動カートを乗り始めて

母は、大正末期の生まれで現在は80歳を超えている。
まあ、年齢なりの衰えはあるし、それなりの疾病もある。
しかし介護が必要になったのは別の疾病でのことで、
両ひざの関節が擦り切れて一部の骨が尖りだしてきたために、
歩くたびにひざが痛くなってきたからで、
平成4年4月4日
(なんと覚えやすいというか、縁起が・・・)
特に痛みのひどい右ひざ関節をチタン合金の関節に取り替える手術をした。
リハビリにはおよそ半年をかけて
杖をついて自力で歩けるようになった。
しかし長い距離を歩くことはできなかったので
移動手段として電動カートを買った。
いつも良くしてもらっているスズキオートの店長さんに
スズキの三輪電動カートを取り寄せてもらったのだが
「福祉用具は値引きしないようにと官庁から言われている」と
申し分けなさそうに言っていて、
代わりに別のものをいっぱい付けてくれた。
本当にこの店長さんは気持ちの良い人で
いつも親身になって車のことを世話してくれていて、
以前乗っていた三菱の車もこのスズキの店で買った。
そんな人を困らせるような通達を官庁は出している。
”福祉用具は内容の割りに高すぎる”
そんな実態を知るようになったのはこの頃からであった。
さて、その電動カートであるが、
いきさつはともかく、母の足代わりとして、すばらしい働きを見せてくれるのであった。
我が家からその病院までは、電車で4駅だが
家から最寄の駅までは歩いても15分くらいかかる(私の足で)。
しかも当時まだ電動カートが珍しかった時代
電動カートで電車に乗る人などほとんど皆無で(乗っても良いのだが)
ショッピングセンターでも、電動カーに乗っていると、
あからさまに嫌な顔をする人もいて、
母は電動カートで電車に乗ることを嫌がった。
我が家から病院までは道路の距離で約10kmである。
最高速度が時速6kmの電動カートでは、
片道で2時間かかることになる。
しかし母は、これを往復していたのであった。
ただし天候が悪いときや真夏や冬は無理で
バッテリーが少し古くなってきたときも、
途中で止まる恐れがあったので、
そのときは私が車で送迎していた。
当時は父がパーキンソン病で入院していたりで
遠くの堺市の病院(皮膚病関連で)に入院して、
母が泉佐野市の病院に入院していたときは、
病院巡りだけで丸一日を要していたものだ。
このときにすでに私の介護人生が始まっていた!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
それからおよそ10年間、この電動カートは、
母の貴重な足となり活躍し、
懸念されていたもう片方のひざ関節の悪化も軽減され
現在もまだ手術しない状態を保っている。
しかいこの電動カートが充電系の疲労によって
走行距離が急激に低下してきて
長時間の走行が不可能になってきたとき
母の体力も長時間の外出が困難になってきていた。
往復20kmの遠征ももう実現することは無い。
今ではせいぜい往復5kmくらいが限界だろう。
さてそろそろ寿命が来た電動カートをどうしようかと思っていたときに
介護保険制度が始まり
母は、「要介護1」と認定され、
電動カートのレンタルができると分かり、
早速申し込んだ。
今までは自費で買った電動カートで、バッテリーももちろん自費で買わなくてはならないのだが、
ひとつ2万数千円し、それが2台必要で、しかもほとんど一年しか持たない。
今回のレンタルカートでは、
諸費用込みで年間3万円程度で、
今までのバッテリー代よりも安くなったのだ。
これは大いに助かった。
買い換えて維持費を負担してとなると
これが結構大きな負担と成ると思っていたからで、
介護保険制度の良い面が出たと思っている。
ただし電動ベッド(父の場合だったが)は以前は無償だったのに
この時からは費用がかかることになっていた。
しかしこれで母の外出の足が確保でき安心していた。
この時は・・・・・

事の始まり

平成18年4月から介護保険法が改正され、従来のサービスが受けられなくなる可能性が高くなった。

4月の末頃、TVのニュースでは、要介護1の約8割もの人たちが要支援2に落とされて、電動車いすや電動ベッドのレンタルサービスを受けられなくなっていると報じていたため、阪南市役所へ赴き、市の対応がどうなのか聞きに行った。

社会福祉課の介護認定の係で
「まだ始まったばかりなので、具体的な対応は決まっていないので判らない」と言われ、「問い合わせの件は会議で決まったら連絡させていただきます」と言うことで担当者は席を立った・・・・が!そこで私が「どうやって連絡するのですか?」 「私は、名前も住所も電話番号も何も言ってませんよ!」 この担当者はどうやって私に連絡するつもりだったのか?
つまり始めから連絡する気など無く、ただただ窓口から追い払うのだけが目的で対応していたのだった。
現に、名刺を渡したにもかかわらず、その後8ヶ月たっても連絡は無かった。

その後12月に母の介護認定の結果が通知された。要支援2であった。何の特記事項も無い。このままでは15年近く乗っている電動カーのレンタルも取り上げられてしまう!
年末、急遽市役所に行き、事態の説明を求めに行ったが、そのときも担当者の対応に思わず怒りが爆発した