市の介護認定審査会の審査には
多くの人たちが関わり、いくつかのチームがある。
審査が審査員(審査チーム)によって偏った結果が出ないように
何らかのコントロールがなされているのは当然である。
まず審査基準であり、
要支援度、要介護度の判定基準である。
それもコンピュータ診断による第1次審査の判定基準と
審査会での2次判定基準とがある。
コンピュータによる基準は
色々と問題点が指摘はされているが、
おおよそ内容は公開されていて、
市販ソフトの試用版を個人でもPCでダウンロードできる。
CARECARE
(有償ですが、2週間は無料で試用できます。)
試してみてください、面白いですよ。
状態を悪くさせて再入力させても
介護度が下がることもあるんです!
そして2次審査であるが
問題点は「要介護1相当」と言う妖しげな名称で
これをどういう基準で「要介護1」と「要支援2」に分けているのかである。
私はその基準を教えてほしいと
何度も市の介護認定相談窓口で問うたが、
以前に書いたように
その場限りの返答に惑わされ続けていた。
審査員の経歴や資格、性格などはたぶんかなり多様であろう。
審査チームごとの判断が著しく違うことがないように
何らかのコントロールがなされているはずである。
ただのガイドラインだけではないはずである。
Cさんは「審査判断の順番を無視した場合などには、事務局員が指摘する」と言う。
つまり、例えば、「認知症あり」なのに、他の項目でもって要支援にした場合など
見落としなどががあったときには指摘しているという。
これは実際の具体例として言ってくれていた。
審査員の中には、この程度の人物もいる!と言うことの証でもある。
「見落とし」⇒言い換えれば「面倒くさい」からとも・・・・・・
この程度だと思うほうが現実なのかもしれない。
事務局員は技術的サポートをするだけとしているが
それは当然、そう言わなければならないものだが、
もし、もしもであるが、
市職員が介護予算の削減を重視したサポートを強いられていたなら
あるいは、介護予算の削減が自分の実績に有利に働くなら、
それがもし私が担当なら・・・・・
誰でも良い、審査会現場を想像をしてみてくれ、
コントロールは簡単である。
そして議事録には載る筈がない会話が
どれだけあるのか!
審査会がブラックボックスゆえに知ることができない闇の領域である。
今、このガイドライン(表向きの部分であろうが)を教えてほしいと
Cさんにお願いしているところであるが、
2市1町による合同運営ゆえに、
阪南市だけの判断で教えることができないので、
少し待ってほしいと言われている。
私は待つ。
★認定審査会はブラックボックスだった
阪南市における介護認定審査会は
阪南市・泉南市・岬町の2市1町の合同で運営されている。
構成メンバーは法の定めるところなのだが
ではそのメンバーの選定方法は?
審査委員を選ぶ審査は無いと言うことを言われた。
ようするに、市側が先生方にお願いして
審査委員になってもらっていると言うのだ(医師の場合)。
数十チームあるらしい審査会の一つひとつに
一回当たり約35件の審査が任されているという。
実質の時間(噂だが)から察すると、
一件あたりの審査時間はとても少ないことになる。
そのことを尋ねたら、
10日前に各審査員に書類を渡して
事前に目を通してもらっていて、
不明な点や分からない点があれば事務局(市職員)を通して
医師や調査員に確認を取るようにしている、とは言っているが、
その確認はできているのかを尋ねたら、
「読んでもらっていると言うことを前提にしている」
「不明な点は再確認してもらっていることを前提としている」
それで当日の審査会では短時間でもきちんと審査をしてもらっていると言う。
以前にも書いたが、
母の主治医は悪筆である。
市職員にも意見書を見てもらったが、
読めない個所が何ヶ所もあった。
しかし、阪南市の事務局から確認の連絡をもらったと言う話は聞いていない。
そして審査会の決定には
市は口を挟むことができないことになっている。
さらに、審査結果は被介護者や介護家族には等級しか知らされず
その理由については一切知らされることはなく、
その審査内容も、事務局(市職員)が議事録に書いているだけで、
その議事録も介護者は見ることも要約を知ることもできない。
つまり
審査会の委員たちは皆さん善良で仕事熱心で、
難解な文字も読めて、
公正に審査が行われている、
と言うことを前提に市は
その審査に一切の疑問を持たずに
被介護者に審査結果を通知し、
審査結果に不服があるなら大阪府に陳情すればいい。
と言う姿勢をとっている。
被介護者の側から見ると、
調査票なんかほとんど読みもしないで
短絡的に事務処理されているのではないか?
と言う疑問を持っても
それを市に聞いても
何も答えてもらえないし、
調べてももらえないと言うことなのだ。
そして審査員に渡される書類を見せてもらったが(未記入のもの)
最初の方に
【認知症なし】 【認知症あり】 の項目が
でーんと構えているではないか!
あーこれなんだ!
関係者の間でよく言われている、
「認知症がなければ、もう要支援としか見てもらえないよ」
そうか、ここですでに仕分けされているのか!
母の調査票と医師の意見書には
かなりの文字数の意見や状態が書かれていて、
内容を知っている私ですら、
読むのは一苦労するくらいである。
それが短時間で処理できるものかどうか?
私は市職員に何回か、
「この量の書き込みを本当に読んでくれているんですか?」
「読んでいると言うことを前提にしています」
Cさんだが、正直に答えてくれている。
そういうことを前提にしなければ仕事が進まないのが現実なんだろう。
その不備な点を承知しながらもそうしか答えることができないと言うことだ。
まさに「認定審査会はブラックボックス」なのだ!
介護者にとって
認定審査会は闇の組織なのだ!
闇から光の射すところへと引っ張り出さなければならない。
そして実際に
どのような基準で
どのような方法で
どの程度の確からしさで
審査が行われているのかを
白日の下に晒して
不備を正さなければ
介護をするものにとって、
泣き寝入りは止むことがないだろう。
阪南市・泉南市・岬町の2市1町の合同で運営されている。
構成メンバーは法の定めるところなのだが
ではそのメンバーの選定方法は?
審査委員を選ぶ審査は無いと言うことを言われた。
ようするに、市側が先生方にお願いして
審査委員になってもらっていると言うのだ(医師の場合)。
数十チームあるらしい審査会の一つひとつに
一回当たり約35件の審査が任されているという。
実質の時間(噂だが)から察すると、
一件あたりの審査時間はとても少ないことになる。
そのことを尋ねたら、
10日前に各審査員に書類を渡して
事前に目を通してもらっていて、
不明な点や分からない点があれば事務局(市職員)を通して
医師や調査員に確認を取るようにしている、とは言っているが、
その確認はできているのかを尋ねたら、
「読んでもらっていると言うことを前提にしている」
「不明な点は再確認してもらっていることを前提としている」
それで当日の審査会では短時間でもきちんと審査をしてもらっていると言う。
以前にも書いたが、
母の主治医は悪筆である。
市職員にも意見書を見てもらったが、
読めない個所が何ヶ所もあった。
しかし、阪南市の事務局から確認の連絡をもらったと言う話は聞いていない。
そして審査会の決定には
市は口を挟むことができないことになっている。
さらに、審査結果は被介護者や介護家族には等級しか知らされず
その理由については一切知らされることはなく、
その審査内容も、事務局(市職員)が議事録に書いているだけで、
その議事録も介護者は見ることも要約を知ることもできない。
つまり
審査会の委員たちは皆さん善良で仕事熱心で、
難解な文字も読めて、
公正に審査が行われている、
と言うことを前提に市は
その審査に一切の疑問を持たずに
被介護者に審査結果を通知し、
審査結果に不服があるなら大阪府に陳情すればいい。
と言う姿勢をとっている。
被介護者の側から見ると、
調査票なんかほとんど読みもしないで
短絡的に事務処理されているのではないか?
と言う疑問を持っても
それを市に聞いても
何も答えてもらえないし、
調べてももらえないと言うことなのだ。
そして審査員に渡される書類を見せてもらったが(未記入のもの)
最初の方に
【認知症なし】 【認知症あり】 の項目が
でーんと構えているではないか!
あーこれなんだ!
関係者の間でよく言われている、
「認知症がなければ、もう要支援としか見てもらえないよ」
そうか、ここですでに仕分けされているのか!
母の調査票と医師の意見書には
かなりの文字数の意見や状態が書かれていて、
内容を知っている私ですら、
読むのは一苦労するくらいである。
それが短時間で処理できるものかどうか?
私は市職員に何回か、
「この量の書き込みを本当に読んでくれているんですか?」
「読んでいると言うことを前提にしています」
Cさんだが、正直に答えてくれている。
そういうことを前提にしなければ仕事が進まないのが現実なんだろう。
その不備な点を承知しながらもそうしか答えることができないと言うことだ。
まさに「認定審査会はブラックボックス」なのだ!
介護者にとって
認定審査会は闇の組織なのだ!
闇から光の射すところへと引っ張り出さなければならない。
そして実際に
どのような基準で
どのような方法で
どの程度の確からしさで
審査が行われているのかを
白日の下に晒して
不備を正さなければ
介護をするものにとって、
泣き寝入りは止むことがないだろう。
★地域包括支援センターが市の直営であることの是非
前に、母のケアマネを
市の地域包括支援センターの市職員から
民間の方に代えてもらったことを書いたが、
地域包括支援センターが少人数で忙しいのは分かるが
それで母のケアプランがおろそかになることは容認できないからで、
特に今お世話になっているショートステイの事業所は人気が高く
申し込みを速やかに行わないと
予約が取れない状態であるのに
地域包括支援センターではまともに対応してもらえていないからだ。
先月の予約も、以前の民間のケアマネさんが
無償で好意で働きかけてくれていて
それで確保できたしだいで、
これでは母はかわいそうである。
阪南市は地域包括支援センターの仕事を
民間に委託せずに市で直営するとしているが
仕事ができないならできないと、
素直に認めるべきである。
介護される者や介護家族にとって
ケアマネージャはあらゆる行政との接点であり窓口であり
日常に接することで
様々な生きた情報を知ってもらえる存在である。
これは市の予算の削減から来た処置なのだろうか?
また介護保険法改正の条文にある
様々なケアプランなど無いに等しい。
実際に
「では、私の母に、どのようなケアプランを立てて、
母が介護にならないように予防してくれるのか」
と問うて見ると、
返ってくるのは「・・・」無言であった。
何を支援してくれるのか?
何もできませんと言う答えが返ってくるだけであった。
デイサービスとショートステイと電動カートのレンタル。
それでは要介護1と同じケアプランではないか。
利用回数が減るだけではないか、
なのに「要支援」と「要介護」
この言葉の大きな差は何なのですか?
「要支援2」の持つ意味、
「地域包括支援センター」の存在意義
それらが明確になる(本性を現す)のは、
半年後?来年?3年後?
市の地域包括支援センターの市職員から
民間の方に代えてもらったことを書いたが、
地域包括支援センターが少人数で忙しいのは分かるが
それで母のケアプランがおろそかになることは容認できないからで、
特に今お世話になっているショートステイの事業所は人気が高く
申し込みを速やかに行わないと
予約が取れない状態であるのに
地域包括支援センターではまともに対応してもらえていないからだ。
先月の予約も、以前の民間のケアマネさんが
無償で好意で働きかけてくれていて
それで確保できたしだいで、
これでは母はかわいそうである。
阪南市は地域包括支援センターの仕事を
民間に委託せずに市で直営するとしているが
仕事ができないならできないと、
素直に認めるべきである。
介護される者や介護家族にとって
ケアマネージャはあらゆる行政との接点であり窓口であり
日常に接することで
様々な生きた情報を知ってもらえる存在である。
これは市の予算の削減から来た処置なのだろうか?
また介護保険法改正の条文にある
様々なケアプランなど無いに等しい。
実際に
「では、私の母に、どのようなケアプランを立てて、
母が介護にならないように予防してくれるのか」
と問うて見ると、
返ってくるのは「・・・」無言であった。
何を支援してくれるのか?
何もできませんと言う答えが返ってくるだけであった。
デイサービスとショートステイと電動カートのレンタル。
それでは要介護1と同じケアプランではないか。
利用回数が減るだけではないか、
なのに「要支援」と「要介護」
この言葉の大きな差は何なのですか?
「要支援2」の持つ意味、
「地域包括支援センター」の存在意義
それらが明確になる(本性を現す)のは、
半年後?来年?3年後?
★地域包括支援センターが市の直営であることの是非
前に、母のケアマネを
市の地域包括支援センターの市職員から
民間の方に代えてもらったことを書いたが、
地域包括支援センターが少人数で忙しいのは分かるが
それで母のケアプランがおろそかになることは容認できないからで、
特に今お世話になっているショートステイの事業所は人気が高く
申し込みを速やかに行わないと
予約が取れない状態であるのに
地域包括支援センターではまともに対応してもらえていないからだ。
先月の予約も、以前の民間のケアマネさんが
無償で好意で働きかけてくれていて
それで確保できたしだいで、
これでは母はかわいそうである。
阪南市は地域包括支援センターの仕事を
民間に委託せずに市で直営するとしているが
仕事ができないならできないと、
素直に認めるべきである。
介護される者や介護家族にとって
ケアマネージャはあらゆる行政との接点であり窓口であり
日常に接することで
様々な生きた情報を知ってもらえる存在である。
これは市の予算の削減から来た処置なのだろうか?
また介護保険法改正の条文にある
様々なケアプランなど無いに等しい。
実際に
「では、私の母に、どのようなケアプランを立てて、
母が介護にならないように予防してくれるのか」
と問うて見ると、
返ってくるのは「・・・」無言であった。
何を支援してくれるのか?
何もできませんと言う答えが返ってくるだけであった。
デイサービスとショートステイと電動カートのレンタル。
それでは要介護1と同じケアプランではないか。
利用回数が減るだけではないか、
なのに「要支援」と「要介護」
この言葉の大きな差は何なのですか?
「要支援2」の持つ意味、
「地域包括支援センター」の存在意義
それらが明確になる(本性を現す)のは、
半年後?来年?3年後?
市の地域包括支援センターの市職員から
民間の方に代えてもらったことを書いたが、
地域包括支援センターが少人数で忙しいのは分かるが
それで母のケアプランがおろそかになることは容認できないからで、
特に今お世話になっているショートステイの事業所は人気が高く
申し込みを速やかに行わないと
予約が取れない状態であるのに
地域包括支援センターではまともに対応してもらえていないからだ。
先月の予約も、以前の民間のケアマネさんが
無償で好意で働きかけてくれていて
それで確保できたしだいで、
これでは母はかわいそうである。
阪南市は地域包括支援センターの仕事を
民間に委託せずに市で直営するとしているが
仕事ができないならできないと、
素直に認めるべきである。
介護される者や介護家族にとって
ケアマネージャはあらゆる行政との接点であり窓口であり
日常に接することで
様々な生きた情報を知ってもらえる存在である。
これは市の予算の削減から来た処置なのだろうか?
また介護保険法改正の条文にある
様々なケアプランなど無いに等しい。
実際に
「では、私の母に、どのようなケアプランを立てて、
母が介護にならないように予防してくれるのか」
と問うて見ると、
返ってくるのは「・・・」無言であった。
何を支援してくれるのか?
何もできませんと言う答えが返ってくるだけであった。
デイサービスとショートステイと電動カートのレンタル。
それでは要介護1と同じケアプランではないか。
利用回数が減るだけではないか、
なのに「要支援」と「要介護」
この言葉の大きな差は何なのですか?
「要支援2」の持つ意味、
「地域包括支援センター」の存在意義
それらが明確になる(本性を現す)のは、
半年後?来年?3年後?
★要支援2って、今だけのランク?
私がどうしてこれほども要支援と要介護の差にこだわるかと言うと、
元来、要介護1と要支援(現在の要支援1)の間には、
利用できる点数に大きな隔たりがあり、
要介護1の者をいきなり要支援(1)にすると
利用できるサービスが極端に減り
(母の場合は、電動カートをレンタルすればデイサービスを一切利用できなくなる)
クレームの嵐が来るに決まっているから
臨時の緩衝ランクとして「要支援2」を作ったのではないか?
と言う疑念があるからで、
もともと存在しないランクが
いつまで存続できるのか?
少しでも保険の利用を減らしたい行政は
必ずこの付け足しのランクを無くし、
要支援は従来の形に一本化されるという懸念を持っている。
そうすれば
母がデイサービスに行けるのは、週に1回。
ショートステイは3日程度
そして電動カートはレンタルできない!
訪問介護も利用できず
大好きなお風呂は
もう週に1回しか入れない。
自分で外出もできなくなる母が
引きこもり、寝たきりになるのも時間の問題。
寝たきりになっても、上半身がまだ動けるなら、
介護にはならない!
これを健康で文化的な生活が出来る生存権を定めた
重大な憲法違反ではないのか。
元来、要介護1と要支援(現在の要支援1)の間には、
利用できる点数に大きな隔たりがあり、
要介護1の者をいきなり要支援(1)にすると
利用できるサービスが極端に減り
(母の場合は、電動カートをレンタルすればデイサービスを一切利用できなくなる)
クレームの嵐が来るに決まっているから
臨時の緩衝ランクとして「要支援2」を作ったのではないか?
と言う疑念があるからで、
もともと存在しないランクが
いつまで存続できるのか?
少しでも保険の利用を減らしたい行政は
必ずこの付け足しのランクを無くし、
要支援は従来の形に一本化されるという懸念を持っている。
そうすれば
母がデイサービスに行けるのは、週に1回。
ショートステイは3日程度
そして電動カートはレンタルできない!
訪問介護も利用できず
大好きなお風呂は
もう週に1回しか入れない。
自分で外出もできなくなる母が
引きこもり、寝たきりになるのも時間の問題。
寝たきりになっても、上半身がまだ動けるなら、
介護にはならない!
これを健康で文化的な生活が出来る生存権を定めた
重大な憲法違反ではないのか。
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